木原誠二内閣官房副長官の素行が、ガーシーこと東谷義和議員、幻冬舎の見城徹社長から、あれこれ暴露され、国会議員としての資質を問われると共に、話題になっています。
今回は、木原誠二内閣官房副長官の、出身高校や大学、学歴・経歴。
さらに学生時代のエピソードをまとめて、紹介します。
目次
【学歴】木原誠二の出身高校

木原誠二さんの出身高校は、東京都練馬区にある、「武蔵高等学校中学校」で、中高一貫制の男子校です。高校からの募集がないので、中学受験が必須です。
東京都内の難関校、開成、麻布、武蔵は「男子御三家」と呼ばれ、難関大学への進学校として、有名ですね。偏差値は「64」です。
高校時代のエピソード

テニスとピアノに熱中する、青年時代を謳歌されていた、木原誠二さん。あまりに自由な校風のため、自由の意味を履き違えて、羽目を外すこともあったと、HPで語られていました。
【学歴】木原誠二の出身大学

木原誠二さんの出身高校大学は、「東京大学法学部」ですが、法学部で卒業するには、教養学部文科一類に入学し、そこから成績順に法学部に進むことができます。
まず、受験に合格することがスタート。教養学部で優秀な成績を要した学生が、法学部へ進学できます。
法学部には3つのコースがあります。
- 第1類(法学総合コース)
- 第2類(法律プロフェッション・コース)
- 第3類(政治コース)
木原誠二さんはテニスサークルに在籍し、学生生活を謳歌していました。
大学時代のエピソード

中高から続けている、テニスに没頭する大学生活を送るあまり、渋谷のセンター街を、着古したテニスウエアで歩いた木原誠二さん。
練習後の空腹を満たしていたのは「天下一品」でした。
キャプテンとした出場した、テニスの試合「関東団体戦」で準優勝。「全国選抜ダブルストーナメント」で3位という、素晴らしい成績を残されています。
木原誠二の経歴

木原誠二さんの経歴を紹介します。
- 05年衆議院議員初当選。しかし、09年落選。
- 09年~12年、落選中の3年間、民間企業で、営業マンとして経済の現場で働きながら、地元政治活動を継続。
霞ヶ関による「政策」独占を打破するため、言葉遊びではなく、自ら法律を書き、自ら政策を作れる「本物の政治家」を信念に、2012年12月衆議院復帰(2期目)、現在当選4期。 - 13年~14年に外務大臣政務官、15年~16年外務副大臣を務める。
政治家としては初めて経済連携協定(EPA)の首席交渉官を努め、日本とモンゴルのEPAを妥結。
2016年5月、モンゴルより北斗七星勲章を授与された他、平和外交の柱であるODAの改善や核軍縮・核不拡散に心血を注ぐ。
また、2016年7月バングラデシュ・ダッカで発生したテロ事件では現地対策本部長を務める。 - 17年~20年、岸田文雄政務調査会長の下、政務調査会副会長兼事務局長として、政府与党の政策立案のとりまとめを担う。
2018年度~2020年度の経済成長戦略、全世代型社会保障戦略、財政構造改革戦略の立案・とりまとめを担う。 - 20年10月~、衆議院内閣委員会委員長
- 21年10月~、内閣官房副長官(政務)、内閣総理大臣補佐官
木原誠二の出身高校・大学。学歴経歴、学生時代のエピソードまとめ
木原誠二の出身高校・大学は?学歴経歴、学生時代のエピソードを、紹介してきました。
いかがでしたか?
高学歴・求心力・行動力を兼ね備え、政治家として邁進されてる姿に、とても好感がもてますが、最近の暴露を含め、裏の顔も見えてきましたね。
誰しも、表・裏があるかと思いますが、足元をすくわれないように気をつけて欲しいですね。
しかし、これまでの実績は本物ですので、これからのご活躍に、期待してしています。
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